13 February 2008

そうだった、そうだった。

 大学院での授業も第2タームに入っているにもかかわらず、相変わらず授業は「わかった!」レベルからは程遠いくらいしか理解できない感じなんだけれども、そろそろ修士論文Dissertationの内容を考えないといけない時期になってきている。

 確かに、今受けている授業の内容も、手に取る本の内容も、「あぁ、こういうことが知りたかったんだ」って、分かんないながらも、わくわくしながら取り組めてはいる。
 「そういうことだったのか!」あるいは、「そんなのはあくまで理論でしょ?」なんて考えながら、過去の博学者たちが積み上げてきた知識に学ばせてもらっている。

 少しずつ、Healthcare Managementの中でも、特にどの分野が自分のアンテナに引っかかってくるのか、わかってきている。
 世界と比較した時の、日本の医療の特異点、優れた点、あるいは、弱点や将来に向けての変化にかかわるであろう内容も、やっぱり引っかかってくる。 
 英国にきて、いかに日本の医療が、世界とはだいぶ違う形で、かなりユニークな形で回っていて、しかも世界一になっている、ということを、毎日考えている。

 あまりにも、政策だの、組織運営だのという、かなり大きな枠で医療というものをとらえることが多いので、ついつい、Dissertationの内容も、政策にかかわるような大きなものになりがち。
 日本に、Healthcare Managementって、本当に要るんだろうか?
 もしかして、今まで世界で使ってきた手法は使えないんじゃなかろうか?
 何か、新しいもの、あるいは、だいぶ変化をくわえたものが必要なのか?
 
 なんて、だいぶ「でかい話」になってきてしまっている。

 どうしようかな、どうしようかなと、もんもんとしても始まらないので、とりあえず思いつくままにポストイットにアイデアを走り書きして、壁に貼り付けている。
 そのうち、なんとなくアイデアの島ができて、KJ法みたいになっていくかなぁ、なんて思ってる。


 去年のちょうど今頃、一人の医師として、家庭医として、目指すべき大きな目標だった方が突然他界され、世界を駆け巡る風となった。 家族でもないのに、何かあるとぽろぽろ泣いていた。

 そんな偉大な医師を偲ぶ会が日本で開催されて、その感想が、偉大な医師の形見となったメーリングリストで流れてきている。
 大ベテランの医師の、研修医の、学生の、心に響いたことが書いてある。
 どれも、その人の心が動いたというのが見えるような、そんなメール。

 あぁ、そうだった!
 あたしは、家庭医だった。 っていうか、今でも家庭医であり続けたいと思っている。
 その患者さんの感じる幸せ度が上がるような、そういう医師でいたいと思う。
 あなたに出会ってよかったと、そう言っていただけるような、そういう医師でありたいと思う。

 なんだか頭でっかちで、すごく大枠でものを考えがちになっていたけど、そもそも何でここへきて勉強しているかって、家庭医の眼から見て、なんとかしたいと思ったからだったんだ。
 日本で毎日診療にあたっている、地道で、真面目で、心が優しくて、一生懸命勉強して、それで身を削るように働いている、プライマリ・ケアを提供する医療者の現状を、どうにかサポートできないかと、思ったからだった。
 患者さんがいて、その家族がいて、その家族が住む地域があって、そこに医療者としてスタッフたちと一緒に医療を提供してきた、そういった経験の中で、自分の中からムクムクと湧き上がってきた気持ちに後押しされて、英国にきて勉強したいと思ったんだった。

 そうだった、そうだった。 
 
 少なくとも、私が出会った医師や看護師、薬剤師、放射線技師、検査技師などの医療専門職の人たちも、受付の事務の人から、ケアを提供するヘルパーさんも、地域で活動しているボランティアの人も、みんな、なんていうか、「何でそこまでしてあげられるんだろう」と思うくらいに、本当に患者さんを何とかしたいと、活動していた。

 でもなぜか、どうしてか、行き詰まったり、満足度よりも心理的疲労感が強くなったり、とにかく上手く回らないことも、多かった。 そんな行き詰まりのために、やりがいや達成感が、そがれてしまうことが目につくようになった。自分自身も、なんだか患者さんとのことよりも、事務的なことだったり、仕事の流れ方だったり、そんなところにストレスを感じたりして、とても心に余裕のない時期を過ごすこともあった。

 それを、どうにかできないかって、思ったんだった。
 それを、システムという形でサポートできないかって、思ったんだった。
 いい医療を提供しようと頑張る人たちの気持ちを、少なくともへし折ることのないような、そんな医療組織の在り方があってもいいんじゃないかって、そう思ったんだった。

 そうだった、そうだった。

 さっそくポストイットに書いて、張っておかなくちゃ。

 やっぱり、理詰めでものを考えるのは苦手だ。
 中から湧いて出てくる気持に、あとから理由を加えたって、まぁいいか。
 湧き出てくるものが何なのか、しっかり耳を傾けて、それで何か新しいアイデアにつながるように、きちんと説明できるように、形にして行けたらなって、そう思う。

 またもや、偉大な医師の残してくれたメーリングリストに、気付かされた。
 先生、ありがとう。 聞こえていますか。
 先生に出会えて、本当によかったです。

2 comments:

familymed758 said...

familymed758です

そうですね、そうですね!

ゆきづまったとき、初心に戻るとびっくりすることがあります
「どうして忘れていたんだろう?」
自分の幹ともいえるべき、一番大切なことを思い出します。Tagさんのがまさにそれですね。
私も人生の岐路に立っていますが「初心に帰ると自分を見失わない」ということを思い出させていただきました!ありがとうございます

PS.重ね煮やってみました。とてもおいしかったのですが、家族には「味が無い」と不評でした。欧米で強い味に辟易しているとなおさら良さが分かるんでしょうね、きっと。

Anonymous said...

familymed758さん

そうなんです、そうなんです!

なんで忘れちゃってたんだろうなぁって、心底驚きました。

忘れないためにも、あるいは繰り返し考え続けるためにも、こうしてBlogに書いていくことは有効な手段かなぁと思っています。

重ね煮、美味しいですよねー。細菌こればっかしです。
そっかー、味がないって不評ですか。
確かに、こちらの外食は塩分もスパイスも油も多いので、おみそ汁でも味が濃いと思ってしまうほど、シンプルな味を求めてしまいます。