30 December 2007

HANDS-FDF

 私のMentor、岡田 唯男医師が主催するFaculty Development:Home and Away Nine Days Faculty Development Fellowship (HANDS-FDF) が、読売新聞で紹介されました。

 教育ルネサンス 医療人を育てる(10) 指導医 合宿で鍛える
 www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20071229us41.htm
 [Accessed 30th December 2007]

 とても一生懸命取材してくださったようで、とっても嬉しい。

 このHANDS-FDFが今の形になる前に、K医師と一緒に6ヶ月間のFaculty Developmentの指導を受け、その後はK医師とともに、HANDSの裏方(事務局)をやってきました。
 たくさんのAdvisory Boardの教育者の皆様に支えられて、修了生のみなさんのかかわりがあって、大きくなってきました。

 HANDSの面白さは、学習者として参加すると、自分の物の見方が変わっていくこと、周りの同志が変わっていくこと、その変わっていくことを共有できることで更に変り方にスピードがつくことを実感できること。
 裏方として参加すると、自分が変わってきた道筋を思い返すことができて、更に学習者が「今まさに新しいことに直面して目からうろこが落ちました!」っていう場面にたくさん出会えること、そして、Group dynamicsを肌で感じることができること。

 習ったことを現場で使ってみて、現場で直面した問題をまたみんなで議論して、さらにそれを自分で振り返って、また新しいことを学ぶ、、 こうした学習のサイクルが、自分の中でも、同志の頭の中でも、Groupの中でも、音をたててグルングルン回っているのを実感できる。

 学ぶって、楽しぃー!! を、実感できて
 自分で勉強するって、こういう事だったのか! っていうのを理解できる。

 HANDSの修了生たちは、現場で研修医を指導することにさらに情熱を燃やしたり、病院や診療所で新しいプロジェクトを発足させたり、患者さんやスタッフとの関係を見直したり、さらに広がった興味の向う方向に従って海外に留学したり、、 
 いずれにしても、自分で問題を見つけて自分で解決方法を探すっていう姿勢(あるいは感覚?)が分かってきたから、それぞれがそれぞれの興味と信念に従って、色んな道を歩き始めている。

 HANDSの良さは、もしかしたら、「別の世界に通じる扉がある」って事に気がつくってことなのかもしれないな。

 

28 December 2007

へんちくりんな日本語 その1

街角で見つけた「へんちくりんな日本語」を紹介していきますね。

日本でも、Tシャツとかで「へんちくりんな英語」っていうのはよく見かけます。
ポカリ・スエットっていうのは、有名な「へんちくりん英語」ですけど、私を教えてくれたアメリカの指導医は、車の「Nude」っていう車種をみて、大爆笑してました。

さて、Birminghamの中華街のお店で発見したもの。



 その名も Shinode!!

 歯が抜けちゃったご老人が発音したような「日の出」という名の、どうやらItalia産(?)のお米でした。
 称賛日本米! ですよ!

 ちょっと見にくいですけど、パッケージの一番下には、

 寿司用に最高 PERFECT FOR SUSHI DISHES

 って書かれています。 
 寿司用に「最高!」ですから。

 みんなで笑わせてもらいました。

 やっぱり、日本っていうと、お侍さんなんですねぇ。 
 まだそういう恰好をしている人たちが日本で生活しているっていう風に信じている海外の方は、どうやら少なくないみたいです。
 先日も、日本におけるSuicideって名誉なことなんでしょ?って聞かれて、はぁっ?!?って思ったので、よくよく聞いてみたら、切腹のことを指しているようでした(汗)
 
 イメージ先行って、怖いです。

英国の広く続く丘


Manchesterから南にBirminghamやLondonに向かうその道中に窓から見える景色は、もっぱらなだらかな牧草地が多いです。

緩やかに傾斜のついたなだらかな丘と、その丘を囲むようにして林が並んでいます。
間を流れる川は、コンクリートで舗装されることなく、自然のままに流れています。 
緑の丘には、栗毛の馬や、思い思いに草をはむ顔が真っ黒で白い毛の羊たちが、のんびりとしています。 
煤で黒くなったレンガ造りの家が点在していて、石を積み上げただけの塀で囲まれています。雲が晴れて青空が見えることは滅多にありませんけど、灰色の空の下を、セーターにチノパンを来たおじさんが、シェパードやシェルティーを連れて散歩しているのを見かけます。

うわー、なんかすごく、英国!って思います。


林の木々は、ほとんどが落葉樹で、この時期にはすっかり葉は散ってしまっています。
夜には氷点下となるのに、牧草や芝生はまだ青々としています。
日本の芝生や牧草とは、種類が違うんでしょうか。

いつもとても不思議に思うのですが、この風景を見るたびに、なんだか非常に懐かしい気がします。 もしかしたら、どことなく私が育った場所の昔の風景に似ているのかもしれません。

真冬の到来と、その後の春に向かっていくときに、この丘がどんな姿になっていくのか今からすごく楽しみです。

26 December 2007

MSc Healthcare Management - コース概要


そういえば、私の所属するコースの概要について書いてなかったなぁと思いだし、どんなコースでどんなことを学んでいるかという概要を説明したいと思います。

私の所属するコースは、MSc Healthcare Management というコースで、Full-timeは12か月、Part-timeだと2年以上で修了するコースになります。
全英で一番大きなCampus-based business and management schoolでもあるManchester Business Schoolのコースの1つであり、2000人を超える学生と200人以上の教員たちが所属しています。Distance learningも盛んで、世界中の3500人以上の学生が通信教育を受けています(ただ残念ながらMSc Healthcare Managementでは提供されていません)。Business Schoolはthe University of Manchester Faculty of Humanitiesの一部を担っています。また、ResearchをメインとするCentre for Public Policy and ManagementのTeaching staffが授業を担当します。 ちなみに、大学自体も全英で一番大きな大学です。

このコースはTaught course(いわゆるレクチャーやグループワークなどで教育をうける)になっています。
  • Semester 1 :9月中旬から12月中旬まで
  • Semester 2 は1月中旬から5月初旬まで
  • 5月から9月初旬まで:Dissertationを書く
修士号Master of Science(MSc)をもらうためには、すべてのUnitsで50%以上のマークを取得し、10000 words dissertationを完成させて50%以上のマークをもらう必要があります。 (評価の方法については、また別に書きますね。)

Core course units
  1. Contemporary issue in health policy (30 credits)
  2. Management and governance in healthcare organisations (15 credits)
  3. Personal and organisational development (30 credits)
  4. Research methods (15 credits)
Optional course units (2つ選択する必要があります。)
  1. Collaborative working in health and social care (15 credits)
  2. Public health and healthcare management (15 credits)
  3. Organisational behaviour (15 credits)
  4. Leadership and service improvement (15 credits)
  5. International healthcare system: comparative analysis (15 credits)
  6. International healthcare systems: themes and challenges (15 credits)
私はOptionalで3と4を選びました。ほとんどの学生が同じコースを選んだために、今年はほかのOptionalが6を除いてすべてキャンセルになってしまったので、ちょっと残念。もし授業があれば、授業に参加することは自由(その代りCreditsをもらうためのAssignmentは提出できません)なので、いろんなことが勉強できたのになぁ。。

Semester 1 ではCoreの1と3、Optionalの4を学びました。 Semester 2 では、Coreの2,3,4とOptionalの3を学び、DissertationのためのProposalの発表などもあります。

すべてのUnitのAssessmentは、3000-4000 words Essay で行われます。他のコースではExaminationやPresentationも評価の対象になるようですが、私のコースではEssayで100%の評価が決まります。つまり、Essayがコケちゃうと卒業できないってことになっちゃいます。 とにかく自分の考えを「書く」ということです。

このコースでは、Full-timeとPart-timeの学生が同じ授業を受けるために、Part-time students達が受講しやすくなるよう授業を数日間でまとめて行われる形式を取っています。このため学校に行くのは驚くほど少ない日数しかなく、それ以外の時間はほとんど自己学習(関連書籍のReadingなど)に費やされることになります。 ただしこれは、ほかの大学に行く友人たちに聞くと、かなり珍しいらしい。。
毎日学校に行って授業を受けるという日本の教育システムに慣れていたので、授業がなくてぽっかり時間が空いてしまい、自分で学ぶことを決めて進めていくというTime managementが強烈に要求される環境になって、最初の数ヶ月は呆然としてしまいました。。

授業では、テーマのコアに関連する文献が提示されるのみで、あとはどこまで深めるかはそれぞれの学生に任せられているという感じです。待っていても誰も何も教えてくれませんから、自分のTutorに連絡を取ったり、図書館に通ったり、Internetで論文を集めたり、友達と学習会をしたりして学ぶ必要があります。 そのかわり、Tutorはたくさんの情報を提供してくれますし、図書館は全英1-2位を誇る蔵書数があって探して見つからなかった事はほとんどありませんし、Librarianの方たちは本当に博識ですし、学ぶ環境は非常に恵まれています。あとはどれだけ自分が求めるかというのにかかっているように思います。

18 December 2007

English is minority?!

Manchesterでは、休日を除く毎日、無料の新聞が街中で配られます。Manchester Evening News(MEN)というものですが、街角のあちこちで、積み上げられた新聞を街行く人に大声で呼びかけながら配布しています。
さて、今回はそこから興味深い記事があったので抜き出してみたいと思います。

題名は、 English is now a minority language in 29 city schools。(WebではLanguage problems in 29 schools )

記事によると、Englandにある小学校17361校のうち、1143校では英語が母国語ではない生徒が大半を占めており、このうち569校では70%以上を占めているそうです。 学校で教える教師たちは、この子供たちへ教えるために多大な労力を費やしており、カリキュラムを進めていく上で大きな障害になっていると報告されています。教師たちの労働組合の統計によれば、英語を母国語としない生徒一人当たり30000GBP(1ポンド230円として690万円)以上を費やしているということです。
これとは逆に、19もの異なる言語を話す生徒たちが学んでいる学校のHeadteacher(校長先生?教頭先生?)は、この多様性が悪影響を及ぼすとは考えられず、悪いことではないのではないかと言っています。問題とすれば、この多様な子どもたちに対して教師たちがどのように対応・反応するかではないかと。 以前にこのMENで 記事になったある学校は、英国の中でも先進的な学校の一つであり、英語のほかに、ベンガル語、パキスタン語、フィリピン語、アルベニア語、スワヒリ語、フ ランス語、ドイツ語、アラブ語など様々な言語がつかわれていますが、こうした言語の違いは優良校となるうえでの障害にならないと報告されていました。
 

Available from: www.manchestereveningnews.co.uk/news/s/1028796_language_problems_in_29_schools
[Accessed 25th December 2007]

日本では移民を受け入れるということ自体が少ないこと、公立校で外国語を話す児童の受け入れ自体が少ないことから、こうしたDiversity はなかなかは見られないだろうなぁと思います。 もちろん、教師たちの負担はかかると思われますが、あたかも「世界は単一」であるという錯覚すら覚える学校の環境に、たくさんの文化・言語・考え方を持つ児童たちが同じ教室に机を並べて学ぶという環境を取り入れることで、「人と違うから」という理由でのいじめは少しは減ってくるのではないかと思いました。 だって、みんな違って当たり前なのですから。

私自身も、「みんな違って当たり前」と頭でわかっていたつもりでしたし、みんなと同じであることに違和感を感じながら日本で生活してきたわけですが、英国に来てDiversity の本当に意味することを理解したような気がしました。
「違うことが普通」という環境に身を置いてみることで、はじめて見えてくるもの、感じられることがあるように思います。自分の中にあったけれども気づいていなかった「同一性」への執着だったり、「違う」ことに対する反発だったり、、 

日本文化を大切にするから教育は日本人だけで行うべきだという考え方もあるのかもしれませんが、逆に、世界に触れるからこそ、違う文化に触れるからこそ、自分の中の国民性を強く認識できるようになると、今は確信しています。
以前所属していたPre-Masters Programme の課題で、Globalist vs Skeptics を論じるものがありました。 世界でみんなが共有できる共通の概念があるはずだと唱えるGlobalistに対し、世界共通概念に近づけば近づくほど、人はNationalisticになっていくと反論するSckepticsの議論を思い出しました。 なるほど、今の私はだいぶ「日本って素晴らしい!」というNationalistic な感じになっています。「違い」に触れることで、自分の中の文化的な背景を深く認識して、とても大切に思えるようになっています。(個人的には、国旗掲揚や国歌斉唱なんかより、美しい国づくりとか言われちゃうより、ずっとずっと愛国心が芽生えると思います。)

日本にも欧米だけではなくアジア圏などの沢山のInternational Schoolがあるのですから、子どもたちに交流の機会を提供して、彼らに学びを任せてみるというのも、いいアイデアだと思うのですが、どうでしょう?

15 December 2007

思い入れというか、こだわりというか

 たった2ヶ月ちょっと日本を離れていただけで、こんなに日本や日本文化への見方が変わってくるとは思いませんでした。 おおざっぱにいえば、Negative からPositive になりました。 まぁ、そんなにおおげさなことでもないのですが。。

 2週間ほど日本に帰っていたのですが、日本の文化は「小さいことへの思い入れ」が基礎の一つになっているんじゃないかなぁって、とても感じました。 

 思い入れとも言いますが、こだわりとも言えるかもしれません。おおざっぱであることに満足をしない、とでもいいましょうか。 ちゃんとする、というか。

 たとえば、洗面室のタイルのメジ。
 安いビジネスホテルであったとしても、タイルのメジが曲がっているっていうこと、日本ではあまり見かけないですよね。 1cm四方のタイルがまっすぐに定規で引いたかのように、きれいに並んでいます。
 さて英国でどうかというと、London の4つ星ホテルであっても、メジがまっすぐに並んでいるということは、まれとは言いませんけれども、まぁ珍しい。 15cm四方のタイルが5mmくらいずれて貼ってあっても、そのままなわけです。 もちろん、タイルの表面に接着剤が付いていても、ふき取られた気配は見られない。


 たとえば、画鋲。
 日本の文房具屋さんや100円ショップで買った画鋲の中で、先の針の部分がとがっていなくて壁に刺さらないという経験されたこと、ありますか? 少なくとも、私は経験したことがありません。 さらに、画鋲の頭の部分に針が取り付けてありますが、真ん中に張りが付けられていない画鋲にも、お目にかかったことはありません。
 さて英国でどうかというと、10個の画鋲のうち1-2個は、針の先の部分がつぶれているといいますか、製造過程で残ってしまった金属片がついたままになっていて(写真参照!)壁に刺さらない! ついでに針が頭の部分の端のほうに取り付けられているので、壁に刺そうとおもっても、針が折れ曲がってしまうわけです。どうしてこれが商品になるのか、わからない。

 たとえば、道路の縁石。
 歩道のわきを囲っている縁石や中央分離帯の縁石などは、これまたきれいに並んでいて、人が歩くであろう場所の縁石の並びには綺麗に傾斜がついています。上下左右に出っ張っていたり、斜めに取り付けられていることって、少ないですよね。 さらに言えば、車道の路面から縁石の上面までの高さって、幹線道路では全国でほぼ同じなのではないかと思います。
 さて英国でどうかというと、古い道路はもちろんのこと、先日作ったばかりの歩道であったとしても、縁石の高さにばらつきがあったり、遠目で見ると波を打っているように見えることがあります。

 たとえば、パチンコの玉
 これは、日本での行きつけの美容師さんに教えてもらったのですが、日本でパチンコが流行るのは、そのパチンコ玉が「完璧に丸い球」からなんだそうです。 ほかの国では、1000玉のうちに数個はそうではないために、パチンコにならないわけです。

 タイルのメジも、画鋲も、縁石も、パチンコ玉も、別に大したことではないといえば、そうでしょう。 それが命にかかわることは、滅多にないでしょう。 けれども、その大したことではないことに「思い入れ」をもつというか、「こだわる」仕事をするのが、とっても日本的だなぁと思うわけです。 
 (でも、レンガや大理石を積み上げた建物ばかりの英国ですから、まっすぐということにこだわらないと崩れちゃうような気がしないでもないのですが、ね、、)

 その日本のこだわりの、思い入れの仕事には、多様に分化した道具たちの存在でも裏付けられると思います。

 ミシンなどがなかった頃から、日本の着物は和裁の仕立てる人たちが手作業でまっすぐに縫いあげていきます。 祖母は和裁の得意な人でしたので、祖母の仕立ててくれた着物の縫い目は、定規で測りながら縫ったのかと思うほどに同じ幅の目でまっすぐに縫いあがっていました。 和裁で用いる和針には、絹針、つむぎ針、がす針、木綿針など、30種類以上の針があり、それを使い分けて縫い上げていくのです。 それほどまでに、道具に思い入れる、こだわるのです。
 大工さんの使うのみや鉋(かんな)も実に多様で、だからこそ自然の木を使って釘などを使わなくても組あげていくことができるのです。 書道に使う筆、髪を結う櫛なども、とても種類が多いですよね。

 おそらく、日本で生活しているとこうした「思い入れ・こだわり」に触れる機会が多くなるので、特定の専門職についている人だけではなく、品質に対しての厳しい目が培われるのではないかなと思いました。 それが、非常に繊細な食文化やTOYOTAに代表されるような改善や工夫につながって、そうして出来上がったものを「美しい」と思う感覚を培ってきたのではないかなと感じています。

 日本で生活していたときに、まっすぐであること、同一性を保つことに少々嫌気がさしていたことは事実ですが、それも自分のアイデンティティの一部であるんだなぁと思うようになりました。 だって、ミシンで縫った着物なんて、着物じゃないって思ったり、タイルが曲がっているのが、ものすごく気になってしまうんですから!

 そういえば、英語の「About」って、何かについてその質を説明するという意味と、だいたいとか約という意味の両方あるっていうのが、意味深いなぁって思ったりもします。。。

 

12 December 2007

大学院での評価方法

こちらにきて驚くことの一つに、評価の方法があります。

英語の試験のTOEFLやIELTSを受験した方ならわかるかもしれませんが、評価対象となる能力にそれぞれ評価基準が細かく設定されていて、それを合算した形で最終結果として報告されます。
日本の医師国家試験も、コミュニケーション能力、自己学習能力、カルテの書き方、基本的臨床技術などの能力に対して細かく評価基準が設けられて、それに加えてペーパー試験ということになったら、ずいぶん出来上がる医師の質が変わるだろうにと思ったりもします。

さて、私のコースでは、授業のUnitsすべてで試験が行われ、それをどの程度の点数でPassするかによって、DiplomaかMScレベルかに分かれます。 Diploma levelでは40%、MScでは50%を取得する必要があります。
最初に、このクライテリアを聞いた時に、「50%ってどういうこと?それって落第じゃないの?」と思いました。 ただ、英国では70%を取るということは、「ほとんど不可能」ということになっているんだそうです(Pre-Masters Programmeの先生曰く)。 ですので、50%(点)台でも、全然がっかりすることはないからねと、言い聞かせられてきました。

Gradingは以下の通り
  • Grade A: 70% - Excellent
  • Grade B+: 60-69% - Very Good
  • Grade B: 50-59% - Good
  • Grade C: 40-49% - Competent
  • Grade D: 39%- Fail
EssayやExam、Presentationでは点数をつける際のCriteriaが決められています。それぞれのCriteriaにAからDまで設定されています。
どのくらい細かいかというと、
  • Organisation and Structure
  • Use of Literature
  • Presentation and Style
  • Use of an Accepted System of Referencing
  • Rationale and Analysis of Content
  • Quality of your Argument
評価は無記名で提出されたEssayを、担当教官(追加で外部講師)が評価します。 (Contentsを見たら、誰が書いたか分かるようなもんだとも思うのですが、、) 
さらに、eMailでAssignmentを提出し、その内容はPlagiarismに該当する部分がないかどうかチェックされます。
Plagiarismというのは、自分以外の人の考えを、あたかも自分のもののようにして論じるということなのですが、これに対しては非常に厳しく対応することが要求されます。特徴的な「単語」ですら、無断で引っ張ってきて使ったりすると、Plagiarismとして罰せられてしまいます。Internetで検索してきて、Copy&Pasteしただけなんてものは、学術的にも倫理的にも認められないってことです。使うときには、どこのどなたが使っていたものか、Referenceとしてきちんと提示することが必要なんですね。そのReferencingにもいろんな方法があって、Departmentが決めた方法にのっとって記載しないといけません。 こうしたことも、Pre-Masters Programmeできっちり教え込まれていたから良かったですが、そうじゃなければ、まず書ききれなかっただろうなぁって思います。

先日、初めてのAssignmentのFeedbackが返ってきましたが、それぞれのCriteriaにマークが付けられて、それについてのコメントが書き添えられていました。 議論の上でどの点が弱いか、今後どのように改善すればいいか、どの点は特筆すべき点だったかなどが丁寧に書かれていました。
このFeedbackは、今後の学びのモチベーションを上げるに十分すぎるくらいのパワーがありました。
一生懸命書いたものを、一生懸命評価してくれて、コメントを付けてくれて、必要であればTutorと議論することもできます。 点数だけが返ってくるような試験ばかりを受け続けた経験からすると、Feedbackの有難さが身にしみます。
個別のFeedbackに加えて、担当教官から全体へ向けたコメントも別紙で添付されており、どのように学習を進めていったらいいか、どんな文献をあたったらいいのか、今後のEssayに役立つ情報が満載でした。
むちゃくちゃな英語のEssayを読むだけでも大変だっただろうと思うし、短期間にFeedbackがもらえて、本当にありがたいなぁって思います。(この話をクラスメートにしたら、私たちはInternational Studentsで大金はたいてるんだから当たり前だという返事が返ってきました。 うーん、この辺でもお国柄の違いが出ますね。)

09 December 2007

継続は力なり

 日本に帰ってきて、数カ月ぶりに「医者」をしています。

 そこで気がついたこと。 

 昔の人は、本当によくいったものです。「継続は力なり」 です。

 まず、仕事のブランクが空くと、自分でもあきれてしまうほど、いろんなことを忘れていることに気が付きます。 

 たとえば薬の名前。

 薬効とか、形状とか、1日何回投与するとか、副作用とかは覚えているのに、肝心の「薬の名称」が出てこない。 名前が出てこなければ、処方箋に記入できないから困ってしまうわけです。

 それに加えて、思考のスピードが落ちていることにも気が付きます。
 脳のしばらく使っていなかったシナプスを活性化させるのに、時間がかかっている感じ。

 患者さんを前にして、お話を聞いて診察をさせてもらって、検査などを出したり点滴なんかをしたりするわけですが、その際に頭の中でどんなことが起きているかというと、可能性のあるいろんな病気のリストを、お話の内容や診察、検査の結果で絞り込んでいくわけですね。 
 で、毎日毎日たくさんの患者さんを見ていると、そうした思考がものすごいスピードで処理されていくわけなんですが、ブランクが空くと、(自分でも「前とは違う」という感覚があるので、間違っちゃいけないと思うから)一つ一つ時間をかけて検証していかないといけないわけです。 まるで、研修を始めた当初のように、じれったくなるほど時間がかかる。 でも、だからと言ってハショるわけにもいかないから、ひとつづつクリアしていくしかないわけですね。
 もちろん、研修開始当初に比べれば、元の思考スピードまでに回復するまでにそんなに時間はかからないわけですが、それでも患者さんを待たせてしまうのに、気が引けるわけです。(ここいら辺の感覚は、きっと英国人にはわかるまい。。)

 逆に、数カ月単位の時間的ブランクがあまり影響しないことがあることにも気が付きました。

 それは、技術的なこと。
 たとえば、細い血管に点滴の針を刺すことや、おなかの診察をすること、聴診時の音を聞き分けることなど、体が覚えているんですね。 これは、びっくりしました。
 どちらかといえば、体が先になまってしまうと思っていたのに、先になまってしまうのは、脳味噌のほうでした。 新しい知識は、論文やインターネットで常に追っかけてUpDateできますけど、その知識を実際に使ってみて初めて、自分の思考回路の中に取り入れて「使える知識」になるんだなぁと、思うわけです。

 気がついたことには、いいこともありました。
 何よりも嬉しかったのは、やっぱり自分はこの仕事が好きだということに気がついたこと。

 英国に来るまで続けていた医者という仕事の中で、「こっちのほうが病気になっちゃうよ!」ってくらい苦しいことやつらいことなんかもたくさんあったんだけれども、人間とはうまくできたもので、「ありがとう」という言葉をもらえた事や、やり遂げた達成感なんかのほうがしっかりと刻まれているんですよね。 
 それなりに継続して仕事をしてきたから、そのプラスの蓄積があって、そのおかげで仕事ができて幸せだなって思えるんだなぁって、気が付きました。 ありがたいことです。

 短期間のブランクで、思考のスピードや知識は低下してしまっても、身体的・精神的感覚というのは長期間の継続が裏付けとしてあると、短期間のブランクではあまり低下せずにそれなりに維持できるものなんだなぁと。 あるいは、ただ単に、長期記憶という形にまで持っていけなかった知識が、ぽろぽろ落っこちちゃってるだけかもしれませんが、、
 
 縁あって英国で学んでいるわけですが、その間も、色んなことに興味を持って、細々とでも情報を仕入れて、できることなら実践に移してみて、そんなことをこれからも続けてみようと思いました。 
 続けて行ったら、きっと、脳味噌のいろんなシナプスが常にあっちこっちにつながって活性化し続けて、それなりの思考スピードを維持しながら、もっとプラスのフィードバックを自分に与えることができるかなぁなんて、思います。 あぁ、ただ、一つのことを極めるって言うのは、ちょっと難しそうですが、、、