10 January 2008

アフリカのこと

 今のコースのクラスメートに、Nigeriaから来たSisterがいる。 キリスト教のミショナリークリニックを2つも「作って」、さらに勉強のために英国にきたという。
 彼女は、いつも朗らかで、何かいいことがあったりすると、天を仰ぎ、胸の前で十字を切りながら、「Thank you」と言っている。 その姿を見るといつも、私は彼女に十字を切りたくなる。
 彼女は、アフリカの今も強い差別(彼女はStigmaと表現している)のあるHIV/AIDS患者さんたちのために、ずっと働きかけを続けている。 国際組織などからの多額の援助金は、7割は誰かのポケットに消え、患者さんのところに来るのはほんの僅かだと、以前話をしてくれた。
 コレラが流行した時も、何も手立てがなく、目の前で亡くなっていく人を見て、ただ立ちすくむのみだったと、教えてくれた。

 Nigeriaは1960年に英国から独立した、西アフリカの国。だから、英語が公用語。石油資源が豊富だが、その地域では石油会社の社員を狙った誘拐が頻発しているという。
 英国には、たくさんのNigeria人が住んでいる。
 ほとんどは、もう国に帰ることはないという。

 彼女が診療所を「作って」というのは、大げさでも何でもなく、建築資材を運ぶ労働者を雇うと費用がかさむとのことで、ブロックやセメント袋を彼女も背中に抱えて、背中を痛めながら作ったんだそうだ。(あとから、壁が崩れたりして、大変だったと笑いながら話してくれた。)おおざっぱに言うと、500万円くらいで12部屋もある大きなクリニックを作ったんだそうだ。

 彼女は、「英国に来てから、当時痛めた背中が痛むのよ。診てくれる?」ということで、ちょこっと見せてもらうと、その痛みは、おそらく、長時間にわたるPCを使ったEssayの書き込みのために、背筋群と特に肩甲骨周囲の筋肉の疲労。 あぁ、わかるわぁ、痛いよねぇ、、、
 でも、骨が潰れたような形跡はなく、それを説明すると安心した様子。

 彼女からは、PCで困ったことがあると、電話がかかってくる。
 「Powerpointから画像がWordに移せないのよ!」とか、「図形って、どうやってかくの?」とかである。

 Nigeriaにいたときには、素晴らしく良くできた秘書が、PC業務を一手に引き受けてくれていたんだそうだ。(といっても、電力は24時間というわけではないので、往々にして、PCは宝の持ち腐れとなると言っていた。) だもんだから、彼女は、Essayを書くのに、私の何倍もの苦労をして、仕上げている。Wordのタブの使い方やら、図形の描き方、右クリックの項目の使い方、などなど。 

 こんなことでSisterから感謝されるなら、いくらでも手伝うわよっていうことで、結構彼女の部屋にお邪魔している。

 今回は、コーヒーを飲みながら、思い切って彼女に聞いてみることにした。

 「あのね、どうしてアフリカだと、何かの対立となると、いつも民族間での対立にすり変わっちゃってる気がするの。ルワンダも、スーダン(ダルフール)も、ケニアも。 どうしてなの?」

 あー、なんてチャレンジなんだろう、自分。 それってタブーじゃない?

 でも、知りたかった。 「ルワンダの涙(Shooting Dogs)」や「ホテル・ルワンダ」や「Ghosts of Rwanda」を見て、嗚咽が止まらなかった、という経験からも、知りたかった。
 日本で英語の勉強していたときに、クラスメートから教えてもらったダルフール紛争のことも、大きかった。

 彼女は、ゆっくりと、説明してくれた。

 アフリカではね、土地というものが、とても意味を持つものなの。
 
 たとえば、数年前にケニアを訪れた時には、大農場や工場はほとんどケニア人以外の白人やアジア人が所有していた。 ケニア人が作った食材(卵や牛乳)を手に入れようとしても、難しいくらいに、ほとんどの土地は、国外の人のものだったの。
 あるとき、その大地主が土地を売ることになって、ケニア人のお金持ちに売ったわけ。
 そしたら、ほかのケニア人が、「その土地は、自分の祖先が持っていた土地だ」と言って、その土地を自分のものだと主張し始めたのね。 その人は、国外の人が所有しているときには、決してそんなことを持ち掛けなかったのに。
 その土地と祖先からの血の流れというのが結びついて、民族紛争のような形をとるのね。
 土地からよそ者をすべて追い払う、つまり、殺し尽くせば、その土地は自分のものになる、という考え方になってしまうのね。

 今回の暴動は、そんなことがきっかけになった。選挙のことは、後からとってつけたようなもの。ほとんどの亡くなっている人たちは、貧しく、職がなく、教育も受けていないような、もともと怒りをもっていた人たちばかりなの。 だって、日中の10時ごろなんて、職のある人がナタをもって人を襲いに行くなんてこと、できないでしょ?
 本当に戦わなくちゃいけない相手の有力者や、汚職議員たち、外国人に立ち向かうという考え方にはならないの。それに、国内の有力者たちの親族も、財産も、子供達も、みんな国外で安全な場所にいるから、手出しもできない。
 
 そういう、貧しく、職がなく、教育も受けていない、昔からの「目上の人の発言は、それだけでありがたいものである」という慣習から抜けきれない人たちに、ほんの少しの金を見せびらかすことで、紛争をあおる人たちがいるのよ。 そして、貧しいものだけが死に、貧しい者たちの財産が破壊されているだけだから、有力者にとっては、どうということはないのよ。

 日本語で配信されているニュースだけ追っかけていた私には、頭を殴られるような感じがした。これが、情報のバリアなのだ。事実が知らされない、日本語では。
 あー、知らないということの、なんと無責任なこと。
 知らない、ということは、無意識のうちに、「無いもの」としてかたずけられてしまう。
 
 そのあとも、アフリカの開発のこと、世界銀行やIMFからの借金とそのお金による開発が失敗に終わっていること、国外への頭脳流出のこと、、たくさん話をした。

 一致したのは、教育が一番大事だ、ということ。
 そして、アフリカ人自身が、自分たちで立ち上がらないと、いつまでたっても状況は変わらない、ということ。

 どうしたらどうだろう、ああしたらどうだろうと、提案してみたけど、彼女が一言。

 「今度、一緒にNigeriaに来たら、きっと違うアイデアが浮かぶと思うわ。」

 そうかもしれない。もしかしたら、今後もPCのスキルの事だけじゃなくて、何か、彼女が十字を胸で切ってくれるようなことが、できるかもしれない。

 Nigeriaに行くには、Visaを発給してもらわないといけない。
 ビル・ゲイツさんみたいになったらと心配だけど、でも、行ってみようと思う。

 

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