目下、Operations Management に関するEssay と格闘中。
(ほんとはBlogを書いている場合ではない(汗))
でもなんだか、とっても胸の中が「たぎっちゃって」るので、書いておこうと思う。
Essay を1本書くために、何だかんだ言って、3桁の論文を見比べて、40-50本に絞り込んで、30本位をがっちり読み込むことになる。 まだまだものすごい時間がかかってしまう。
いっつも、そんなときに「ちっくしょー」っていう気分になる。
ひとつ: 日本に関して書いてある英文の学術論文が少ない。
ふたつ: ある項目について研究したり論述されたりしている論文を日本と欧米と比べると、欧米だと30年くらい前から話題に上っている。
みっつ: フリーで読める日本語の論文が少ない。(というか、Manchester大学が日本の論文のアカウント取得していないからなんだけど。)
よっつ: 英語だから、どうしても時間がかかってしまう。
アメリカで家庭医が専門医として教育が始まったのが1970年代。
家庭医療を勉強し始めた時にも、「30年の開きかぁー(遠い目)」って感じだった。
Healthcare / Hospital Management に関してもおそらくそれくらいの開きがある。
ものづくりに関しては、ずば抜けて世界のトップを今でも走り続けている日本なのに、どーして学問や医療では、そうじゃないんだろう。
本当は、ずば抜けているのかもしれないんだけど、少なくとも世界ではあんまり認識されていない(だって、日本に関する記述が少ないんだもの)。
もしかしたら、提示の仕方がよわい? 鷹が爪を隠しっぱなし?
知識の蓄積・構築・進歩・教育って言うのを考えると、大英博物館の「Enlightment 」っていうコーナーを思い出す。 このコーナー、18世紀の英国人たちが世界をどう解釈していたかって言うのを、大英博物館のコレクションを通じて解説しているものなんだけど、本当にImpressive です。
コレクションを見ていると、「そりゃぁ、違うでしょ」っていう解釈の仕方もあるんだけれども、なんでそんな解釈になったんだかって言う(現時点で正しいと考えられている)説明もある。
この部屋に入ると、過去の偉人や学者や、あるいは無名の人々が積み上げてきた「英知」に圧倒される感じがする。
それに、こういう展示方法をもって人々に知らしめることができる、博物館のスタッフのレベルの高さに、これまた圧倒される。
もちろんこのコレクションは「英国人による英国人の解釈」なんだろうけれども、それのいくつかは、日本の歴史上のある時期には、発展の礎になってきたわけだし。
そんな「英知」の上に、今自分が勉強していることも、医者として患者さんに向かうときの医学的内容も積みあがっているんだと、非常に神妙な気持ちになるし、その上に、ほんの綿毛の一本くらいでも、のせることができたら、どんなにか嬉しいだろうなと、思ったりもする。
でも、でも、30年の開きは、何とかしたい。と、思う。
いろんな情報の媒体で、今何が話題になっているのかって言うことは、手に入れることができるし、その気になれば自分で勉強することだって、できる。
Practical なアプローチは、もちろん社会や現場がそれを受け入れる体制がないとできないかもしれないんだけれども、研究はきっとできるような気がする。どうだろう、だめかなぁ。
Discover は苦手かもしれないけど、Modify やImprovement は日本のお家芸だと思うから、製造業だけじゃなくて、サービスの面でも、きっと世界に提示できるものを見出せるような気がするんだけど。
ちょっと、夢、見すぎですかね。
。。。。はい、Essayに戻ります。
06 January 2008
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2 comments:
うーん、なんだかとっても身につまされる思いで読みました。よくわかる。同じような思いを何度したことか。
やっぱり行き着く所は「異文化」ということなんでしょうか。言語化するという作業が非常に苦手な日本。普遍化することに対する欧米とは異なった価値観。英文の学術論文を書くことに対する恩恵の少なさ(特に国内の人にとって)。もちろん英文書けば認められるというのはあっても、そこにいたるまでの敷居の高さと言ったらありませんよね。英語の論文と言っても、しょーもないものがたくさんあることも読めば読む程良くわかってくる。
「30年遅れている」というのはよく言われるフレーズですが、だんだん自分のなかにしっくりしないものを感じるようになっています。「遅れている」というよりもやっぱり「違う」のだと。それも30年なんてレベルではなく、いにしえの頃からの大きな違い。これはしょうがないんじゃないかと。
アメリカでトヨタ流の改善が本当の意味で行われないように、全く違う文化に違うものを当てはめるのも難しい。だから「ちっくしょー」と思うと。
日本には日本の家庭医療とかCQIとかがあると思います。
それから日本のHealthcare Managementに関する重要な文書はやはり厚生労働省に眠っているのではないでしょうか。そういう意味でできる限り公開されることを願ってやみません。
それにしてもアメリカとイギリスで離れていても考えることは驚くほど似ているなー・・・
Hajさんコメントありがとうございます。
おっしゃるように、英文学術論文を書いたことがincentiveとして働きにくいですねぇ(っていうか、書いてから言いたいとこですが。)
しょーもない論文が超有名雑誌に載ってたりして、びっくりすることもありますね。時に、題名と結論が食い違ってたりとか。「そんなこと言ってないジャン!」みたいな。
日本人が自分の意見を表現することが苦手、っていうのは、真正面切って意見することが苦手なだけであって、「つぶやく」のは結構好きなんじゃないかと思い始めています。聞いた話じゃ、世界のBlogの70%位が日本語で書かれているというじゃないですか(あ、データがないので突っ込まないでください)。
意見を持たないわけでも、表出する文化がないわけでもなくて、表出する方法に、いまいちなじみがないのかなと。
Quality improvementについては、輸出したものを再輸入しているような感じもあるのですが、実は、発展を遂げて帰ってきたわけじゃなくて、元に戻っただけ?っていう感触を受けています。 もともと「今、目の前にある、身の回りのことを、気が付いた人がちょっと手を入れる」っていう日本でよくある現場主体の手法が、顧客満足度を上昇させることを目的としたQIにおいては、一番効果的なんじゃないかっていう論文が、特にこの数年たくさん出ています。
なーんだ、それなら、今でもやってるジャン! ってことは、ちょっとそこに「上」の人たちの援助があったら、なんか、うまくいくかも?なんて、考えたりしてます。
パッケージ化したものをapplyするんでなくて、もともとあるいい部分を、どう発展させるかって考えたほうが、conflictも少なくていいでしょうね。だからこそ、日本だとRadicalな変化が難しいのでしょうが。
厚労省のHPはいろいろあたってるんですが、議事録はたくさん出てくるんですけど、その「後ろ側」のことって、やっぱりなかなか見えないです。
外に出てみると、色んなことが見えてきますよね。 毎日驚きの連続です。
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