18 December 2007

English is minority?!

Manchesterでは、休日を除く毎日、無料の新聞が街中で配られます。Manchester Evening News(MEN)というものですが、街角のあちこちで、積み上げられた新聞を街行く人に大声で呼びかけながら配布しています。
さて、今回はそこから興味深い記事があったので抜き出してみたいと思います。

題名は、 English is now a minority language in 29 city schools。(WebではLanguage problems in 29 schools )

記事によると、Englandにある小学校17361校のうち、1143校では英語が母国語ではない生徒が大半を占めており、このうち569校では70%以上を占めているそうです。 学校で教える教師たちは、この子供たちへ教えるために多大な労力を費やしており、カリキュラムを進めていく上で大きな障害になっていると報告されています。教師たちの労働組合の統計によれば、英語を母国語としない生徒一人当たり30000GBP(1ポンド230円として690万円)以上を費やしているということです。
これとは逆に、19もの異なる言語を話す生徒たちが学んでいる学校のHeadteacher(校長先生?教頭先生?)は、この多様性が悪影響を及ぼすとは考えられず、悪いことではないのではないかと言っています。問題とすれば、この多様な子どもたちに対して教師たちがどのように対応・反応するかではないかと。 以前にこのMENで 記事になったある学校は、英国の中でも先進的な学校の一つであり、英語のほかに、ベンガル語、パキスタン語、フィリピン語、アルベニア語、スワヒリ語、フ ランス語、ドイツ語、アラブ語など様々な言語がつかわれていますが、こうした言語の違いは優良校となるうえでの障害にならないと報告されていました。
 

Available from: www.manchestereveningnews.co.uk/news/s/1028796_language_problems_in_29_schools
[Accessed 25th December 2007]

日本では移民を受け入れるということ自体が少ないこと、公立校で外国語を話す児童の受け入れ自体が少ないことから、こうしたDiversity はなかなかは見られないだろうなぁと思います。 もちろん、教師たちの負担はかかると思われますが、あたかも「世界は単一」であるという錯覚すら覚える学校の環境に、たくさんの文化・言語・考え方を持つ児童たちが同じ教室に机を並べて学ぶという環境を取り入れることで、「人と違うから」という理由でのいじめは少しは減ってくるのではないかと思いました。 だって、みんな違って当たり前なのですから。

私自身も、「みんな違って当たり前」と頭でわかっていたつもりでしたし、みんなと同じであることに違和感を感じながら日本で生活してきたわけですが、英国に来てDiversity の本当に意味することを理解したような気がしました。
「違うことが普通」という環境に身を置いてみることで、はじめて見えてくるもの、感じられることがあるように思います。自分の中にあったけれども気づいていなかった「同一性」への執着だったり、「違う」ことに対する反発だったり、、 

日本文化を大切にするから教育は日本人だけで行うべきだという考え方もあるのかもしれませんが、逆に、世界に触れるからこそ、違う文化に触れるからこそ、自分の中の国民性を強く認識できるようになると、今は確信しています。
以前所属していたPre-Masters Programme の課題で、Globalist vs Skeptics を論じるものがありました。 世界でみんなが共有できる共通の概念があるはずだと唱えるGlobalistに対し、世界共通概念に近づけば近づくほど、人はNationalisticになっていくと反論するSckepticsの議論を思い出しました。 なるほど、今の私はだいぶ「日本って素晴らしい!」というNationalistic な感じになっています。「違い」に触れることで、自分の中の文化的な背景を深く認識して、とても大切に思えるようになっています。(個人的には、国旗掲揚や国歌斉唱なんかより、美しい国づくりとか言われちゃうより、ずっとずっと愛国心が芽生えると思います。)

日本にも欧米だけではなくアジア圏などの沢山のInternational Schoolがあるのですから、子どもたちに交流の機会を提供して、彼らに学びを任せてみるというのも、いいアイデアだと思うのですが、どうでしょう?

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